📜 史実クロス
実在の人物・出来事がどの作品に登場するか(本文の言及から抽出)
21 項目

黒船来航(ペリー) 出来事

言及 8 作品
湯屋の二階、蝶合戦、ズウフラ怪談、正雪の絵馬、妖狐伝 他3
“「むむ」と、半七はまた考えた。黒船の帆影が伊豆の海を驚かしてから、世の中は漸次にさわがしくなった。夷狄を征伐する軍用金を出せ”
嘉永6年(1853)6月、ペリー率いる米国艦隊が浦賀に来航し開国を迫った実在の事件。本文では専ら「黒船」表記。『湯屋の二階』#4(「黒船の帆影が伊豆の海を驚かしてから」)『蝶合戦』#21(「黒船騒ぎ」)『正雪の絵馬』#50(「嘉永六年の黒船渡来」)『吉良の脇指』#61(品川沖のお台場築造)など、多くの作品の時代背景をなす。

忠臣蔵 文化

言及 8 作品
勘平の死、朝顔屋敷、小女郎狐、人形使い、十五夜御用心 他3
“て来たのであった。今度の狂言は忠臣蔵の三段目、四段目、五段目、六段目、九段目の五幕で、和泉屋の総領息子の角太郎が早野勘平を勤め”
元禄14年(1701)の赤穂事件(吉良邸討ち入り)を題材にした人形浄瑠璃・歌舞伎。『小女郎狐』#24に「かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて世に出た年」と浄瑠璃初演年の記述がある。各作品で狂言・芝居・人物(力弥・本蔵・師直・大星等)として頻繁に引かれ、『菊人形の昔』#58では菊人形の題材にもなる。

浄瑠璃 文化

言及 8 作品
勘平の死、奥女中、小女郎狐、旅絵師、人形使い 他3
“しておれを怨むな。飛んだ梅川の浄瑠璃で、縄かける人が怨めしいなんぞと詰まらねえ愚痴をいうな。嘘や冗談じゃねえ、神妙に覚悟してい”
義太夫節などの語り物・人形浄瑠璃。江戸期の主要な大衆演芸。『勘平の死』#3(「梅川の浄瑠璃」)『旅絵師』#33(他人に身をやつす類句)『人形使い』#38(人形遣いが浄瑠璃を唄う)など、庶民の教養・道具立てとして頻出する。

永代橋の落橋 出来事

言及 7 作品
半鐘の怪、奥女中、熊の死骸、松茸、大阪屋花鳥 他2
“間をさわがしたという罪で遠島、永代橋から遠島船に乗せられて八丈島へ送られました。奴は芝居小屋なんぞで窮屈な思いをしているよりも”
文化4年(1807)8月19日、群衆の重みで永代橋が落橋し千数百名が溺死した実在の大事故。『熊の死骸』#29に「永代橋の落ちた時に刀を抜いて振りまわした」、『松茸』#37に「文化四年の大椿事」(当時の江戸の物見事故の記憶)と過去の落橋事故として言及される。※他は橋名・地理の言及。

植疱瘡/種痘 出来事

言及 7 作品
奥女中、三河万歳、正雪の絵馬、河豚太鼓、地蔵は踊る 他2
“様は明けて十七という今年の春、疱瘡神に呪われて菩提所の石の下へ送られてしまった。あまりの嘆きに取りつめて母の奥方は物狂おしく”
牛痘を接種して天然痘を防ぐ近代医療(種痘・植疱瘡)。幕末に蘭方医により広まり、天然痘(疱瘡)は江戸期に最も恐れられた疫病の一つ。『河豚太鼓』#56に「江戸では安政六年の九月、神田のお玉ヶ池(松枝町)に種痘所というものが官許」と実在の種痘所開設が詳述される。なお「疱瘡」単独の言及は病気(天然痘)を指す作品多数。

コレラ(コロリ) 出来事

言及 6 作品
広重と河獺、蝶合戦、妖狐伝、かむろ蛇、蟹のお角 他1
“になるか判りません。その広重は大コロリで、その年の秋に死にました」三こんな話をしているうちに、二人はいつか三囲を通りすぎていた。”
安政5年(1858)に江戸で大流行したコレラの俗称「コロリ」。多数の死者を出した実在の疫病。『広重と河獺』#10(広重が大コロリで死去)『かむろ蛇』#55(「いわゆる午年の大コロリ」)『蟹のお角』#59(「安政五年のコロリ」)などで語られ、黒船(外国船)由来の病という噂も記される。

麻疹(はしか) 出来事

言及 6 作品
春の雪解、猫騒動、鬼娘、異人の首、金の蝋燭 他1
“がありません。実は小せえ餓鬼が麻疹をやったもんですから」「そりゃあいけねえな。軽く済みそうか」「へえ、好い塩梅に軽そうです」”
江戸末期に繰り返し流行した伝染病(はしか)。『蟹のお角』#59に「文久二年の夏から秋にかけて麻疹がたいへんに流行しました」と明記。『異人の首』#40には「麻疹と浪士は江戸の禁物」と当時の流行を反映した言い回しがある。

横浜開港 出来事

言及 6 作品
化け銀杏、松茸、異人の首、妖狐伝、菊人形の昔 他1
“わかい方は息子ですが、なにしろ横浜と東京とかけ離れているもんですから、始終逢うというわけにも行かないんです。それでも向うじゃ”
安政6年(1859)の横浜開港。外国との交易の窓口として発展した実在の出来事。『異人の首』#40に「一昨年(安政六年)の六月二日に横浜の港が開かれると」と開港日が明記。開港後に異人・交易の中心地として多くの作品の舞台・背景となる。

安政の大地震 出来事

言及 5 作品
お化け師匠、春の雪解、蝶合戦、川越次郎兵衛、地蔵は踊る
“話をしましょうよ。あれはたしか安政の大地震の前の年でした」七月十日は浅草観音の四万六千日で、半七は朝のうす暗いうちに参詣に行った。五”
安政2年(1855)10月2日の安政江戸地震。家屋倒壊と火災で江戸が甚大な被害を受けた実在の大災害。『川越次郎兵衛』#63には紀年法として「その年の十二月二日は安政の大地震、店の土蔵が崩れたので」と明記。『お化け師匠』#5(「安政の大地震の前の年」)『春の雪解』#9(遊女を穴倉に閉じ込め焼き殺した話)『蝶合戦』#21(「五年前の大地震」と相対年代)『地蔵は踊る』#66(「安政の大地震後に出来た」地蔵)に言及。※本文の「安政」は年号(1854-1860)の文脈が多いため、地震の文脈が明らかな作品のみ採録。

上野戦争(彰義隊) 出来事

言及 3 作品
狐と僧、河豚太鼓、薄雲の碁盤
“はり元の寺に勤めていましたが、上野の戦争のときに彰義隊の落武者をかくまったというので、寺にも居にくくなって、京都の方へ行ったそうで”
慶応4年(1868)の上野戦争。徳川家を守った彰義隊が新政府軍と戦った実在の戦闘。『狐と僧』#25(「上野の戦争のときに彰義隊の落武者をかくまった」)『河豚太鼓』#56(「上野の彰義隊の戦争のとき」)『薄雲の碁盤』#67(「慶応四年の上野の戦争、下谷の辺で死にました」)に言及。

江戸城御金蔵破り 出来事

言及 2 作品
金の蝋燭、川越次郎兵衛
“の二人が共謀して、江戸城本丸の御金蔵を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この御金蔵破りの一件は、東京になってから芝居に仕組”
安政2年(1855)、藤岡藤十郎らが江戸城本丸の御金蔵を破り小判四千両を盗んだ実在の大事件。『金の蝋燭』#47と『川越次郎兵衛』#63の中心事件。『金の蝋燭』には「この御金蔵破りの一件は、東京になってから芝居に仕組まれて、明治十八年の十一月、浜町の...で上演された」と後年芝居化された旨の記述がある。

蛤御門の変(禁門の変) 出来事

言及 2 作品
お文の魂、歩兵の髪切り
“時だから、元治元年――京都では蛤御門のいくさがあった年のことだと思え」と、おじさんは先ず冒頭を置いた。その頃この番町に松村彦太”
元治元年(1864)に京都で起きた禁門の変(蛤御門の変)。長州藩兵と会津・薩摩らの戦い。『お文の魂』#1に「元治元年――京都では蛤御門のいくさがあった年のこと」と明記。『歩兵の髪切り』#62も「蛤御門の事変から江戸にある長州藩邸はみな取り壊しになった」とその余波に言及。

菊人形 文化

言及 2 作品
菊人形の昔、蟹のお角
“九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判で繁昌しました。その人形をこしらえたのは、たしか植梅という植木屋であったと思います”
菊花で作った人形の見世物。江戸末期〜明治期に流行した実在の催し。『菊人形の昔』#58(団子坂の菊人形・「文久元年の九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判」)『蟹のお角』#59(「去年の九月、江戸の団子坂で菊人形を見物」)に言及。

吉原の大火 出来事

言及 1 作品
大阪屋花鳥
“年前に焼けて、今度また焼けて、吉原も気の毒ですね」と、わたしは云った。「まったく気の毒です」と、老人は顔をしかめた。「どうも”
吉原は江戸期に度々大火に見舞われた(明暦・天保など)。『大阪屋花鳥』#49に天保6年・天保8年の吉原大火と明治30年の吉原出火が詳述され、「吉原近来の大火と云われた」と記される。※全69作品中「吉原」は遊郭名として多数作に登場するが、火災の文脈で語られるのは主に本作。

歌川広重 人物

言及 1 作品
広重と河獺
“眼についた一枚絵がある。それは広重が描いた江戸名所で、十万坪の雪の景色だ。おめえ、知っているか」「知りません。わっしはそんな”
江戸を代表する浮世絵師(東海道五十三次など)。実在の人物で、作品『広重と河獺』(#10)の表題・登場者としてその絵の評判が語られる。同作で安政の大コロリ(コレラ)により「その年の秋に死にました」と、彼の実際の没年(1858年)が史実として言及される。

高野長英 人物

言及 1 作品
唐人飴
“お聴きください」有名の和蘭医師高野長英が姓名を変じて青山百人町(現今の南町六丁目)にひそみ、捕吏にかこまれて自殺したのは、嘉永三”
実在の蘭学者(シーボルト門下)。蛮社の獄で捕らえられたが脱獄した。『唐人飴』#54に「有名の和蘭医師高野長英が姓名を変じて青山百人町(現今の南町六丁目)にひそみ、捕吏に...」と、実在の人物として脱獄後の潜伏生活が語られる。

国定忠治 人物

言及 1 作品
川越次郎兵衛
“というのは以前は上州の長脇指、国定忠治の子分であったが、親分の忠治が嘉永三年にお仕置になったので、江戸へ出て来て太鼓持になったと”
幕末の上州(上毛)の博徒で、義賊として語られる実在の人物。『川越次郎兵衛』#63に「以前は上州の長脇指、国定忠治の子分であったが、親分の忠治が嘉永三年にお仕置になったので」と、子分の過去として言及される。

佐倉宗吾 人物

言及 1 作品
青山の仇討
“座を見物したと云った。「新富は佐倉宗吾でしたね」「そうです、そうです。九蔵の宗吾が評判がいいので見に行きましたよ。九蔵の宗吾と光”
佐倉惣五郎(宗吾)。領主堀田氏の悪政を将軍に直訴した義民として知られる実在の農民。『青山の仇討』#60で「新富は佐倉宗吾でしたね」「九蔵の宗吾が評判がいい」と、この故事を題材にした芝居の観劇が語られる。

天一坊 人物

言及 1 作品
女行者
“からである。そのときの狂言は「天一坊」の通しで、初代左団次の大岡越前守、権十郎の山内伊賀之助、小団次の天一坊という役割であった”
将軍家の落胤を称して大岡越前守に裁かれた実在の山伏(天一坊改行)。この事件を題材にした講談・芝居が有名。『女行者』#26で「そのときの狂言は「天一坊」の通しで、初代左団次の大岡越前守」と芝居として言及される。

清元延寿太夫 人物

言及 1 作品
槍突き
“再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町の和国橋の際で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を樹てたくらいの人”
清元節の創始者。実在の浄瑠璃太夫。『槍突き』#18に「初代の清元延寿太夫も堀江町の和国橋の際で、駕籠の外から突かれて死にました」と、文政8年(1825)の「槍突き」騒動で命を落とした旨が史実として語られる。

桜姫東文章 文化

言及 1 作品
女行者
“その劇場は木挽町の河原崎座で『桜姫東文章』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが、これからお話し申そうとするのは、そ”
鶴屋南北作の歌舞伎『桜姫東文章』。『女行者』#26で「その劇場は木挽町の河原崎座で『桜姫東文章』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが」と、当時の芝居の評判・芸談として言及される。